東洋思想と季節の関係

五時=季節

 

今回は東洋思想と季節の関係について書いていきます。

「五時」とは四季に五行を当てはめたもののことを言います。

 

 

東洋思想では、1年を3ヶ月ずつ分けた四季にそれぞれ、春=「木気(肝)」、夏=「火気(心)」、秋=「金気(肺)」、冬=「水気(腎)」を割り当てました。

これでは4つですので、五行に1つ足りません。

そこで、各季節の終わり18~19日間(立春・立夏・立秋・立冬の日の前18~19日間)に各々「土気(脾)」を当てました。これがいわゆる「土用」です。

 

 

土用と言うと、夏の土用の丑の日を思い浮かべる方が多いと思いますが、実は各季節の終わりに「土用」があります。

その中でも有名なのが、皆さんご存知の夏の終わりの土用です。

 

 

これは、夏は五行=「火」ですので、「火生土」という本来の相生関係にあることから、土用の中でも夏の土用が一番注目されるようになりました。

「土用の丑の日」とは、この土用の期間中の丑の日を指します。つまり、土用の丑の日が2日ある年もありますが、現在では最初の丑の日を指してイベントなどを行うことが多いようです。

 

 

干支や暦との関係

 

次は干支と暦の関係を見ていきます。

1月の干支の配当は「寅」です。最初が「子」から始まらないのは、東洋思想の1年の分け方にあります。

1年で1番昼間が短いのが「冬至」。この日を境に太陽はその力を強めていき、「夏至」になると昼間が1番長くなり、今度はそこからその力を弱めていきます。(これが、分かりやすい陰陽の関係の例です ⇒ 陰(夜)極まれば陽(昼)となる。)

 

つまり、暦は【冬至→春分→夏至→秋分→冬至】という循環となっており、その基準点である「冬至」のある旧暦の11月を「子」にしたのです。

冬至、春分、夏至、秋分は各々の季節のちょうど真ん中にあたります。立春があるのが1月、春分があるのが2月、よって1~3月が春、という感じで四季が配当されました。

立夏があるのが4月で夏至があるのが5月、よって4~6月が夏……とそれぞれ分けられる訳です。

 

東洋思想の知恵『二十四節気』

 

東洋思想では、季節を4分よりももっと細かく分けた二十四節気というものが存在します。

暦上、その二十四節気の「立春」を1年の始まりとしていました(現代の2月4日頃)。

 

また月の始まりも1日ではありません。

二十四節気のうち、月の最初に来る12の節がそれぞれ月の始めになります。その年によって違いますが、大体5~8日です。これを「月の節入り」と呼んでいます。

「二十四節気」とは、太陰暦を使用していた時代に、季節を表すための工夫として考え出されたものです。

1年を4季より細かく24等分にし、それぞれに名前をつけました。現在でも季節の節目節目に、これを示す言葉として使われており、しっかりと記載されているカレンダーもあります。

更に言うと、この二十四節気のそれぞれの間の約15日間を5日毎に分けた『七十二候』というものもありますが、今回はそこまでは省略します。

 

 

おさらいすると、まず2至(冬至と夏至)、そして2分(春分と秋分)が考えられ、その後に8節(2至2分に立春・立夏・立秋・立冬を加えたもの)が作られたと言われています。

二十四節気はこれを更に細分化したものであり、8節を細分化する時に単純に倍の「16」になりそうですが、それを「24」にしたのは、やはり1年が「12ヶ月」なので、季節と暦月を関連づけるためと考えられています。

現代の太陽暦にそのまま当てるとズレが出て季節感がイマイチ出ませんが、年間を通した「養生法」の手立てとして今も活躍してくれます。

以下、二十四節気の名前と意味を記しますので、季節ごとの過ごし方の参考にしていただくと良いと思います。

 

月日 節 気 内   容
1月6日頃 小寒

しょうかん

 

陰暦12月の節で、この日から寒に入り、寒さも本格的になる。小寒から節分までを寒の内と呼ぶ。気温から見ても、一年中で最も寒い時期は1月中旬から2月上旬にかけてで、二十四節気の中でも、小寒と大寒は日本の気候と合致している。
1月21日頃 大寒

だいかん

 

陰暦12月の中で、陽暦の1月20日か21日。一年の内で最も寒い時期。しかし、冬至が過ぎ太陽は力が強まっていき、春の訪れを予感させられる。
2月4日頃 立春

りっしゅん

 

陰暦正月の節(旧暦で月の前半にくる節気)で、陽暦では節分の翌日。2月4日頃。二十四節気の最初の節であり、八十八夜、二百十日など、すべて立春の日から数える。暦の上では冬と春の境い目にあたり、この日から立夏の前日までが「春」となる。
2月19日頃 雨水

うすい

 

陰暦正月の中(旧暦で月の後半にくる節気)で、陽暦では2月18日か19日。雪が雨に変わり、雪や氷が溶けてくる。段々と春の気配がし草木がよみがえる。しかし雪国ではだまだ雪は深い。
3月5日頃 啓蟄

けいちつ

 

陰暦2月の節で、陽暦では3月5日か6日。啓蟄啓戸「蟄虫(すごもりむし)戸を啓く」の日のこと。地中で冬眠をしていた虫たちが穴から出て姿を表わす頃とされている。
3月20日頃 春分

しゅんぶん

 

陰暦2月の中で、陽暦では3月20日か21日。太陽黄経は0度となり、昼と夜の時間が等しくなる。この日を中日として前後それぞれ3日、計7日間が春の彼岸である。この日を境に昼の方が長くなり、本格的な春が始まる。
4月4日頃 清明

せいめい

 

陰暦3月の節で、陽暦の4月4日か5日。清浄明潔で、「万物ここに至りて皆潔斎にして清明なり」という意。全てのものに新しい気がみなぎり、百花が咲き乱れる季節。
4月20日頃 穀雨

こくう

 

陰暦3月の中で、陽暦の4月20日か21日。この頃に降る雨は百穀を潤す、とされる。春の季節の最後の節気でもあり、この頃より春独特の変りやすい天気も安定し、日差しも強まるり、北国でも春らしくなる。
5月5日頃 立夏

りっか

 

陰暦4月の節で、陽暦の5月5日か6日。 夏立つ日で、暦の上ではこの日から立秋の前日までが夏。野山に新緑が目立ちはじめ、いよいよ夏の気配が感じられる。
5月21日頃 小満

しょうまん

 

陰暦4月の中で、陽暦5月21日頃で、陽気盛んにして万物が次第に長じて満つる、の意。麦が無事に成長し穂がついてホッとする、という意味もある。
6月5日頃 芒種

ぼうしゅ

 

陰暦5月の節で、芒種の節ともいい、陽暦の6月5日か6日。芒種というのは稲などの穀物の種のことを指す。農家はちょうど種蒔きの時期にあたり、田植えで忙しくなる。
6月21日頃 夏至

げし

 

陰暦5月の中で、陽暦の6月21日か22日。太陽は北回帰線の真上まできて黄経90度となり、昼間の時間が1年で1番長くなる。中国のみならず、世界的にこの日には昔からイベントがあった。
7月7日頃 小暑

しょうしょ

 

陰暦6月の節で、陽暦の7月7日か8日。「温風至(おんぷういたる)」と言い、暑気がどんどん強くなっていく頃。暑中見舞いや日本独特のお中元を出し始める頃でもある。
7月22日頃 大暑

たいしょ

 

陰暦6月の中で、陽暦の7月22日か23日。梅雨も明ける頃で暑さが最も厳しくなる。暑気払いや暑中見舞いも最盛期となる。暑くてバテる「夏バテ」は、正式には「暑気中り」と言う。
8月7日頃 立秋

りっしゅう

 

陰暦7月の節で、陽暦の8月7日か8日、秋立つとも言う。現代では最も蒸し暑い時期だが、これ以降は残暑と呼ぶ。朝晩には少し秋の気配が感じられる頃でもある。
8月23日頃 処暑

しょしょ

 

陰暦7月の中で、陽暦の8月23日か24日。暑気が止息する、暑さが落ち着く頃、という意。日中は残暑が厳しいが、旧盆を過ぎると朝晩は秋の風を感じられる。台風が最も来やすい時期。
9月7日頃 白露

はくろ

 

陰暦8月の節で、陽暦の9月8日か9日。いよいよ秋の到来を感じる頃で、野草には朝露が宿るようになる。「陰気ようやく重なり、露凝って白し」から名付けられた。
9月23日頃 秋分

しゅうぶん

 

陰暦8月の中で、陽暦の9月23日頃。太陽黄経は0度となり、昼と夜の時間が等しくなる。この日を中日として前後それぞれ3日、計7日間が秋の彼岸である。秋の夜長の季節へと移っていき、日中も涼しくなる。
10月8日頃 寒露

かんろ

 

陰暦9月の節で、陽暦の10月8日か9日。秋の長雨が終わり、草花には冷たい露が宿り、本格的な秋となる頃。実りの秋となり、農家は収穫に追われる。
10月23日頃 霜降

そうこう

 

陰暦9月の中で、陽暦の10月23日か24日。寒い地域では霜が降り始める頃。楓が色づき、紅葉が盛りを迎える。
11月7日頃 立冬

りっとう

 

陰暦10月の節で、陽暦の11月7日頃。この日から立春までが暦上では冬。この頃から急に日が差す時間が短く感じられ、冬の気配がうかがえるようになる。木枯らし1号が吹く頃。
11月22日頃 小雪

しょうせつ

陰暦10月の中で、陽暦11月22日か23日。寒さまだ深からず、雪まだ大ならざるなり、という意。山間部では雪が降りはじめ、山頂が白くなり、冬の到来を感じられる頃。
12月7日頃 大雪

たいせつ

 

陰暦11月の節で、陽暦の12月7日か8日。積陰雪となりて、ここに至りて栗然として大なり。北国では平野部でも本格的な雪が降りだし、冬本番を迎える頃。
12月21日頃 冬至

とうじ

 

陰暦11月の中で、陽暦12月21日か22日。1年で最も昼間が短い日。この日以降は昼間が長くなり運が上昇し始めるということから、「一陽来復」の目出度い日とされていた。古くは1年の始点とされ、無病息災を願うゲン担ぎが色々とあった。